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執筆者の写真Choku KIMURA

小原信『孤独と連帯』-連帯的孤独を求める-

更新日:2022年5月23日

 この本は、北海道の古品屋でたまたま出会った。先月まで、500m美術館で展示をしていた。私はこの本に出会うために北海道に行ったようなもので、私の中で記念碑的な本になった。小原信の『孤独と連帯』(1972)をアーティストとしての私自身の生き方の指針とするために、私なりにまとめてみる。

 孤独という言葉は、英語でsolitudeとaloneと分けて使われる。一般的に日本では、孤独をネガティブな意味だけで捉えがちだ。一方、英語圏の「孤独」は2つに分けられ、solitudeは孤独の自由を喜ぶという使われ方で、aloneは独りぼっちで寂しいという使われ方をしている。本書は、5人の人物の生き方から、孤独と連帯の中に生きる人間の姿を炙り出す。その5人とは、ムルソー(カミュ/『異邦人』)、グレゴール(カフカ/『変身』)、葉蔵(太宰/『人間失格』)、先生(漱石/『こころ』)そして、ソクラテス(プラトン/『ソクラテスの弁明』)だ。非常に、有機的に人物を見ていく、小原の論考は一度読むと、止まらない。

 さて、芸術家(あるいは人間)は孤独である。人は皆、孤独だが、独自性が求められる芸術家はより孤独に徹しねばならない。私のような売れない芸術家は、クライアント(雇い主)がいないことによって、誰からも必要とされない可能性を理解しながら、作品を作らねばならない。この誰からも必要とされないかも知れないと思いながら、作り続けることは孤独である。しかし、孤独を孤立と同じに考えてはいけないと本書は指摘する。そこで、まず孤独と孤立を分ける。そこで、私はsolitudeを孤独とし、aloneを孤立と私は考えたい。言語的には、孤立はisolationという単語が一般的には当てられるが、芸術家という視点から考察するので、社会的な孤立というよりは、ここでは自己が選択するような意味での孤独と捉えたいので、aloneをあえて孤立としたい。ここで、まず芸術家は孤立した存在ではなく、孤独な存在だということが、認識できる。これだけでも、随分救われた気持ちが私はする。孤独は、苦しい一方で、「その人の個別的な独自性に関わる」ことだからだ。(本書p9)

 本書では、この孤独と孤立を区別するところから議論が始まる。ここで、初めて本書の孤独と対に並ぶ言葉「連帯」がたち現れる。そして、小原信は私たちに、「孤独を恐れて孤独に悩む必要はない。むしろ、真に孤独に耐え孤独のうちに自己を形成し、自己の責任を負って生きてゆくことは、すぐれて高尚な人間の仕事に属する。(省略)そうしてできることなら、真に引き受けるべき孤独に耐えつつ、孤独のうちに徹して、連帯的な孤独とでも言うべきものを確立することが望ましいのである。我々に必要なのは、孤立的な孤独ではない。」と言う。つまり、私達は、連帯しつ孤独を志向しなければならない。それは小原信の倫理は絶対ではなく、状況において、変化していくという彼自身の生きた思想的視点でもある。

 小原によれば、私たちが孤独の中に絶望し、自殺という選択を取ることも、これらの考えから言えば、否定的態度を取ることが可能だと指摘している。私たちは、未来に対して無知であるからだ。ここでも孤立的な態度を避け、あるいは無知であるという自覚を忘れなければ、死という対象に対して私は、無知であり、望むことも望まないことも出来ないはずなのである。

 最後に、芸術家は、孤独な存在である一方、歴史に名を残す場合がある。ある成功を収めた芸術家は、孤独でありながら、所謂インサイダーな人々以上に、社会と連帯しているとも言えるだろう。つまり、芸術家として成功して死ぬことこそが、連帯的な孤独を乗り越えるということだと、本書を読んで、ふと思った。しかし、それは成功することが出来ない場合、本当に救われない話だなと思い、やはり、連帯などと投げ捨てたくもなる。本書で、ムルソーなどは、社会に反抗する孤独を貫く強さはあったが、そこから反抗をしつつ、生きる連帯の思考はなかったのだと論じられる。ムルソーは、最後には獄中で彼女に会いたいと泣く。それはそれで、美しいがムルソーが泣くのは他人事ではないし、私は獄中で泣きたくはない。そうした時に、ふと、やはり連帯の必要性が身に染みる。しかし、一方で連帯ばかりを志すとまた、自己が空虚になる。そこで、連帯的な孤独という矛盾した精神状態を生き抜くしかないと思う。そうするといつかムルソーのように、獄中で泣く時に少しは、納得出来るのではないか。


小原信

『孤独と連帯』(1972)

中央公論社

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