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執筆者の写真Choku KIMURA

中島義道『差別感情の哲学』-不条理を見つめ続けること-

更新日:2021年12月3日

 「ハンセン病療養所の記録と継承」を取り組む私にとって、人間が持っている差別感情について、考察していくことは、重要なテーマだ。それは、いつでも自分自身が、加害者側であり、被害者側でなり得る、人間生活の営みの不条理を見続けていくことでもある。

 そこで今回は、カントの研究者としても知られる中島義道の著書『差別感情の哲学』の5つのキーワードを拾い上げ、考えていきたい。「善良な市民」「自己批判」「繊細な精神」「パレーシア」そして最後にカントの「最高善」だ。

 まず前提として中島は、差別感情は全ての人間が持ちうる、豊かな感情の一つだと指摘する。この世で、差別感情を持つことを禁止されたとして、その世界は酷くつまらないものになるという。ここで差別感情は、私たちが、いつでも持ちうる感情だとする前提が見出される。しかし、だから良いというわけではない。ここでは、まず私たちが、いつでも差別者や、被差別者になり得ることを確認したい。

 さらに、我々は正義の名の元に、しばしば差別を行う歴史的事実に目を向けたい。ハンセン病もまさしく、正義の名において、無ライ県運動として、国土浄土、富国強兵のために、生まれた差別だ。

 ここに1つ目のキーワード「善良な市民」が、出てくる。善良な市民は、正義のために行動する。それは、一見素晴らしい行為のように見えるが、そこには差別的行為がある。ハンセン病の歴史を、見ても差別は善良な市民たちの手によって行われていく。

 2つ目のキーワードは「自己批判」と3つ目のキーワード「繊細な精神」だ。私達は、これらの自分自身や他者からの差別に抗うためにはこれらの2つを徹底して行っていくことでしか、差別とは立ち向かえないと筆者は述べる。歴史を見返せば、ハンセン病による差別の根本的な原因の一つは、無知によるものだったと言える。私たちは常に自己が無知であるという「自己批判」と事柄を観察する「繊細な精神」がなくては、差別と向き合うことは出来ない。

 4つ目のキーワードはパレーシアだ。パレーシアとは、中山元の『初めて読むフーコー』(洋泉社)で「パレーシアは、みずからを危険にさらしながらも、あえて他者の好まないことがらを隠さず直言するという性格のもの」と語り、さらに「自分が沈黙していることに耐えられず発言するのであり、自己に真摯でありたいという道徳的な動機のためにおこなわれることが多い(中略)偽りや沈黙ではなく真理を語るのを選び、また生命と安全ではなく死の危険性を選び、へつらいではなく批判を選び、自分の利益や道徳的なアパシー[無気力-中島〕ではなく、道徳的な義務を選ぶのです。」とある。これらを中島は人間が生きていく上で数々の原理の中でも、最も優れた原理だと指摘する。私自身もこのパレーシアという生き方を実践していきたい。人間は過剰な差別によって間違う生き物であるが、もし、その差別を発見してしまった時、私自身もこのような行動を取りたいと願う。

 そして5つ目、最後のキーワードは「最高善」について。最高善とはカントの概念で、中島はこれらについて「最高善とは誠実性と幸福との合致である。この合致は後者が前者を条件づけるのではなく、前者が後者を条件づけるように実現されねばならない。幸福であることを確保したうえで、その条件のもとで誠実性を求めてはならず、反対に、誠実性を確保したうえで、その条件のもとで幸福を求めなければならないのだ。しかし、このことは現実的にはほとんど不可能である。絶対に嘘をつかないという条件のもとで(とくに)他人の幸福を実現することはできない」と語る。

 中島はさらに続けて「誠実性を(他人の)幸福に条件づけられる形で、すわなち(他人の)幸福を自分の信念より優先させる形で両者を合致させてはならない。しかし、このことは、自分の誠実性を貫くために(他人の)幸福を無視していいことにはならない。「仕方ない」と呟くのではなく、あくまでも、私は両者の理念としての合致を求めなければならない。(省略)いかなる現実的な策は見いだされなくとも、私は私に命じられたものとしての誠実性と他人の幸福の合致という最高善を望むのである。誠実性と幸福との合致は現実的にはできなくとも、理念としてそれを『求めること』、そこにこそ人間としての最高の輝きがあるのだ。」という。つまり、まとめると、自分の幸福の前に、誠実性を求め、その次に自らの幸福を考え、かつ、自分の誠実性、幸福のために、他人の幸福を無視してはならないということだ。常に他人の幸福と自分の誠実性を前提にした幸福の一致を絶え間なく求め続ける姿勢で物事を見ていくことが最高善の考え方だと言える。これは、人間の不条理を死ぬまで見続けていくことだ。それは例え、達成出来ないとしても自分の幸福と他者の幸福が一致していくまで。

 中島は終章でこのようにも語っている。「差別感情に真剣に向き合うとは、『差別したい自分』と『差別したくない自分』とのせめぎ合いを正確に測定することが必要であろう。(省略)差別感情に真剣に向き合うとは、『差別したい自分』の声に絶えず耳を傾け、その心を切り開き、抉り出す不断の努力をすることなのだ。こんな苦しい思いまでして生きていたくない、むしろすべてを投げ打って死にたいと願うほど、つまり差別に苦しむ人と『対等の位置』に達するまで、自分の中に潜む怠惰やごまかしや冷酷さと戦い続けることなのだ。この努力を(カントの言葉を使えば)自分に『課せられたもの』とみなし、自分の人生の大枠を形づくること、逃れられないものとみなすこと。そう覚悟してしまえば、血を流しながらも、むしろ晴れやかに、自然に、軽快に、決して細部を見逃さずに、やり遂げることができるのではあるまいか。」と激烈なメッセージを私たちに送っている。ここにわたしは、岡本太郎の「弱いなら弱いまま突き進めば、逆に勇気が湧いてくるじゃないか」という発言を付け足したい。

 本書の著者である中島義道さんには、以前カント塾でお会いしたことがある。講義後に彼がワインを持ち、「不条理に」と言って乾杯した姿を見たことが印象的で、お会いした際の中島さんの人生に対する姿勢が本書でも見られる。本書は哲学書だけでない面白さがある。作家中島ギドーの体重が乗っかっているからだ。


中島義道

『差別感情の哲学』

講談社学術文庫 2015

カバーデザイン:蟹江征治


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